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​第1話 プロローグ

 悲鳴、罵声、怒号、咆哮。それらを全て飲み込んでしまう程の炎と黒煙が夜空へ広がる。
 岩壁をそのまま利用して建てられ、上空から見ると大きな鳥の様な形をした城砦は、本来ならばその壁で護るはずだった街並みが赤々と燃えるのを見下ろしていた。
 難攻不落とうたわれた城に抱かれた街も、その腕の内から崩れてしまえば容易いもので、焦土と化すのも時間の問題に思えた。
 かつては人々の活発な熱気が溢れていただろう街並みには、老若男女の区別もつかない程に焼け焦げた肉塊が散乱し、この悲惨な事態を、持ち主を失った剣や槍などの武器達だけが悲しげに訴えていた。
 強大な力を持ち、魔の力を操る者。魔獣と呼ばれる、醜悪でおぞましい存在を前に、人々になす術などなかった。その凶悪な魔獣達が戦の中で現れたとあっては、先刻までの人と人の斬り合いなど些細な小競り合いでしかないのだ。戦の勝敗も、指揮官も首も関係なく、魔獣はその切り裂くような鳴き声と共に破壊をまき散らし、災禍をもたらした。
 立ち並ぶ家屋が一つ、また一つと崩れる広場で、アルジェ・エルレイスの無惨な死体が左の目を見開き、湖水色の瞳で立ち昇る煙を眺めていた。
 彼女のその体は、かろうじて人の形を保っているものの、見る影もなく損壊していた。身に着けた衣装のほとんどは破り取られ、温かな血液を失ってしまった白い肌が浮かび上がる。右足以外の四肢は欠落し、金古美の髪に隠された顔も半分はえぐり取られたように無くなっていた。右の目は見当たらず、脳や、その周囲の器官らしきものが覗いている。
 仰向けに寝転がる腹にはいくつもの武器が突き立てられ、貫かれた背から流れ出る血液が、規則的な石畳の溝を赤くなぞってえがいていた。
 広がる血でえがかれた線の先には、更に多くの肉塊が焼けて独特の臭いを放っていた。魔獣の物だろう、つなぎ合わせると到底人の物とは思えない大きさであり、気味の悪い緑色の鱗に覆われている。
 その硬い鱗に突き刺さった柄の長い斧を、アルジェ・エルレイスの物だろうか、右手がしっかりと握っていた。切断されても尚、武器を握る腕はおそらく彼女が勇猛に戦い続けた証拠なのだろう。四肢を引き千切られ、体を貫かれ、命を絶たれるその間際まで。
 しかし、その湖水色の瞳からは最早、感情を窺い知る事は出来ないが、彼女には決してこの街を守るといった使命感や、救おうといった慈愛の意が無い事は確かであった。
 彼女はそもそも、侵略する側の立場なのだ。自ら前線へ赴き、その斧を振るい、迎え撃とうとする他者の命を切り伏せ、刈り取った。城砦を攻め込み、市街地に降り立つまでに、ここに転がる魔獣の肉塊よりも多く死体の山を築いてきたのだ。
 ふと、咆哮と共に、何かが崩れ落ちた様な音が響き渡る。だが、どこかで倒れる魔獣の断末魔も、既に死んでしまった彼女には関係の無い事だ。
 かすかな揺れの仕業か、斧を握っていた腕はその力を緩め、どさりと落ちて石畳に転がり、炎の餌食となった。焼け跡に、着けていたグローブにあしらわれた手甲だけが、むなしく残る。
 火の手は上がり続け、おそらく数日は収束しそうにない。彼女の死体もいずれは炎に飲み込まれ、灰と化すだろう。もしも彼女が生身の人ならばの話だが。
 途端に、彼女の死体は周囲で燃え盛る炎とはまったく異質な、黒い炎に取り巻かれた。
 どこからともなく発生した不気味な黒い炎に焼かれる死体は、瞬く間に灰になると、まるでそこに何も居なかったように消失した。腹に刺さっていたいくつかの武器を残して。
 暴れていた魔獣達も、ほとんどが炎と煙で息絶えたのだろう。後に、アスピデール砦の悪夢と呼ばれる戦は静かに終結し、不死者、アルジェ・エルレイスの命は何度目かの終わりを迎えた。
 その寂滅の中で、誰かの産声を聴いた。

 

プロローグ

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