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​第1話 1章 かつては愛された怪物たち

「殿下。こんな辺鄙な施設まで、御足労頂きまして誠にありがとうございます」
 恐る恐る、差し出された手を握るシェイグ。その手は、爪の先まで磨かれ、ささくれ一つ無く、整っている。しかし、高貴な身において手袋を着用しないのは、無礼を通り越して、完全に異端としか言いようがなく、軽装である事も相まって最早、畏怖の対象でしかなかった。一体この若き皇族は何を考えているのだろうか。
「気にしないでくれ、僕がここへ来たくて来たんだ。こちらこそ、急な申し立てですまなかった」
「恐れ多い事です、ラウエル殿下……どうか頭を下げる事などしないでください」
「ありがとう。エルレイス所長」
 再び、笑みを見せるラウエル。こうして直に接してみると、なるほど、民たちがラウエルを仰ぎ慕うのが良くわかる。彼にはそれほどの、形容しがたい、人を引き付ける魅力があった。
 現に兄である皇帝、ディラード・ベルセリウス・ゼオシフォンもそれを利用してラウエルを帝都外、かつての敵国であるエルフェセリアやベルマレーなどへ派遣し、民たちの信望を得ている。実情はさておいて、政治的な手腕では父にも劣らぬ賢君である兄を献身的に支える姿に民達は、この国の永遠なる安泰を信じているのだ。
 しかし、シェイグはどうにもラウエルが、前皇帝の面影を色濃く残すのに対して、嫌悪感さえ感じていた。
「どうぞ、立ち話なんてもってのほかです。詳しいお話はわたくしの執務室の方で」
 本音を言えば同じ空間で、同じ空気を吸うのでさえ、緊張でどうにかなりそうなシェイグだったが、一先ず、腰を落ち着けて話が聞きたかった。二階にある自身の執務室へとラウエルを誘導する。途中の螺旋階段でラウエルが足を引っかけたりしないか、気が気ではなかったが杞憂に終わり、質素な扉を開き中の応接用のソファにラウエルが腰を掛け、ようやくシェイグの心拍数は正常な具合に戻った。
「それでは……ラウエル殿下、いったいこの『不死者しかいない様な、ひなびた
収容所』に、どのようなご用件でしょう?」

 すでに気負けしていたシェイグではあったが、仮にもこの収容所を任せられ、体制を立ち上げた身として、相手が誰であろうと自尊心と責任感があった。あえて歴官庁ではなく不死者の事を強調したのは愛娘であるアルジェを筆頭とする不死者達を守る為だ。柔らかい口調ではあったが毅然とラウエルに問いただす。
「エルレイス殿が聡明な方で良かった。話が早く済みそうだ。喜ばしい事だ」
 来年の今頃には十八歳の誕生日を迎え、晴れて成人となるラウエルだが、五十五歳のシェイグからしてみれば言葉の通り年端も行かない。しかし、その堂々たる態度に、シェイグの気は滅入る一方だった。
「公に触れている通り、アウアリド城砦が間もなく完成する。僕はそこに落成の書状を持って行かなくちゃならないんだ。そこで、端的に言おう。僕の護衛にこの収容所の力を借りたい」
 当然のことながら、ラウエルにはそれ相応の親衛隊は居る。しかし。
 民達が知らない、彼を取り巻く実情は非常に厄介である。
 現皇帝、ディラード・ベルセリウス・ゼオシフォンは父である前皇帝を裁き、弱冠二十二歳の若さにしてその玉座を自分のものにした。五年前の事である。
 アスピデール砦の悪夢をきっかけに、エルフェセリア王国を滅ぼし、大陸全土を手中に治めた前皇帝は不死者の力を愛してやまなかった。
 彼女達の命を使い、非人道的な戦を推し進め、多くの命を奪ってきた。無論、アルジェやチェリエ、ヴァウラも例外ではない。
 ディラードはそこを責め、旧エルフェセリアの元貴族達を味方に付け、前皇帝に取り入り私欲を尽くした高官達を排斥し、皇帝――実の父を処刑し、ついにはその座に就いたというわけだ。
 ゼオシフォンの民も、エルフェセリアの民も、世襲を待たず、あくまで暴君である父を裁いた悲劇の英雄、という彼の姿に心を奪われ、少々の反乱分子は見え隠れするものの、結果的に国内は一つにまとまった。
 しかし、ここで厄介なのがディラードと十も年の離れた弟、ラウエルである。まだ幼かった彼を前皇帝派の高官たちが担ぎ上げて、ディラードへの対抗勢力になるよう教育を施した。いや、施そうとした。
 高官たちの思惑は見事に外れ、自分たちに都合の良い傀儡に仕上げようと思った皇帝の弟――ラウエルは前皇帝が裁かれ、二年が経過する頃には自分を支持する高官たちの思惑も、兄の取り巻きがどういう立場なのかも理解していた。それどころか、自分に対して度が過ぎて媚びへつらう者などは、兄に進言しその地位を剥奪させた程だ。
 その頃から、ラウエルは民衆の前に積極的に姿を見せ、民の支持を得る様になる。高官達が思い描いた骨肉の争い――という事態は表向きには影もなく、兄弟仲良くこの国を治めている。皇帝・ディラードもその状況を危惧はしつつも、利用している。と言った具合である。つまりは、前皇帝時代からの臣下達に口をはさむ余地など、まったくと言って良いほど無いのだ。
「親衛隊は『国の目の届く範囲』でしか僕を守ってはくれないんだ」
 帝国の制圧下でラウエルが殺されれば、前皇帝派――つまりラウエル派はすぐにでも旧エルフェセリア貴族のディラード派にその罪をなすり付けるだろう。民意も後押しをして、ディラードの力は完全に弱まる。そこを高官達が傀儡の皇として懐柔し、 あとは皇后が男児を産めば、次なる傀儡として育てればいい。それが望めないのなら、金色の髪の子供をどこかから連れてくれば良いだけの話だ。その手腕で皇帝の座に就いたものの、ディラードの足元はそれほどまでに脆弱であるが故に、権力争いの火種を進んで起こせる状況にはない。
 しかし、帝国が抑制しきれていない場所でラウエルが殺されたとしたら。かなり状況は変わってくる。
 南のアリド山を越えた先、タラサ砂漠にすむ蛮族達の仕業にしてもよい。自治権を与えている旧エルフェセリア王国のエクサパト地区に群れを成す異形の力を持つ者達でもいい。とにかく帝国に仇を成す者達を狩る口実になりうるのだ。
 弟の仇を打とうとする皇帝、ディラードの姿は眩い英雄譚として民の目に映るだろう。
「兄は僕の葬儀を盛大に行いたいみたいだからね」
「それで、不死者を護衛に使いたいと?」
「アウアリドの水はタラサ人が常に狙っている。なんてのは、城塞を建てる口実だ。僕は自分の大きな墓標の視察に行くって事だよ」
 ラウエルは軽く皮肉を言うと口元をニィ、と吊り上げてみせた。その表情から察するに、この皮肉以上に何倍もの策を講じているのだろう。みすみす暗殺されるつもりなど、全くもってない様子である。
 先程片付けたつもりだったのだが、散乱してしまった書類の内、一枚が低めのテーブルの下に滑り込みそのままになっていた。ラウエルはそれを拾い上げると、途端に笑顔を作るのをやめて、視線を書類に滑らせた。そして、くるりと書類を翻し、シェイグに見せる。
 その内容は。
「アルジェ・エルレイス。彼女を借りたい」
 アルジェが、十日前に再生した旨を記録したものだった。
 シェイグの脳裏に、かつての、不死者を愛してやまなかった、暴虐なる皇帝の姿が過った。

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